熊本県鉄筋工事業協同組合の鉄筋歴史

平成4年~平成9年まで

熊本県鉄筋工事業協同組合
初代 中村敏幸氏
会長 平成4年~平成9年まで

■全国鉄筋工事業協会 常任理事
■九州鉄筋工事業団体連合会
■熊本県技能士会連合会会長 初代
■黄綬褒章
■雙光旭日章
■任意組合であった熊本鉄筋組合法人化に参加
■熊本県技能士会連合会設立に参加 初代会長
■全国鉄筋工事業協会にいち早く入会し、九州の活動に尽力

【組合事業として】
■平成4年 外国人研修生・実習生に関して熊本組合独自で受け入れ事業・現地面接から育成まで開始
■共同購入事業開始・旅行・熊鉄会・ボーリング大会など実行
■組合 合同入社式・表彰制度の確立・等々 多大な事業を実行

平成9年~平成17年まで

熊本県鉄筋工事業協同組合
第二代 理事長 宮田道昭氏
会長 平成9年~平成17年まで

■全国鉄筋工事業協会 団体長
■九州鉄筋工事業団体連合会 副会長
■熊本県技能士会連合会会長 理事
■厚生労働大臣表彰 技能検定員 10年以上
■熊本県鉄筋工事業協同組合初代理事長 中村敏幸氏のもと副理事長を経験し、第二代理事長となった。
■熊本県技能士会連合会活動や全国鉄筋工事業協会活動に尽力また、熊本市職業訓練短期大学 鉄筋課 指導官として、積極的に活動した。講師として力量を発揮した。
■全鉄筋定例会 熊本での開催や、九州鉄筋工事業団体熊本定例会で、熊本県土木部との意見交換会など、いち早く、鉄筋の問題を議題とした。
■宮田理事長は、積算のコンピュータ化に尽力した、学問肌の理事長であった。
■宮田理事長の葬儀に葬儀に際しては、全国鉄筋会長から弔辞を述べていただいた。
■外国人研修生・実習生に関して熊本組合独自で受け入れ事業中止他の管理団体を通しておこなうようになった。

平成17年~平成19年5月まで

熊本県鉄筋工事業協同組合
第三代 理事長 古閑幸人氏
会長 平成17年~平成19年5月まで

設立時は、本人曰く使い走りで、諸先輩の中で一番若く20代であった。
■全国鉄筋工事業協会 団体長
■九州鉄筋工事業団体連合会 副会長
■熊本県技能士会連合会会長 技能検定委員
■熊本県鉄筋組合三代理事長となった。
■熊本県技能士会連合会活動や全国鉄筋工事業協会活動に尽力。特に青年部活動を強化すべく、技能検定講習会や技能祭活動を、青年部に一任するなど、責任を持たせて、育成することとした。この活動で、青年部に力がついた。また、組合員に向けて特別教育(玉掛け・アーク溶接)を実施し、資格取得に尽力。
■外国人研修生、実習生採用活動の一環として、公益財団国際人材育成機関(アイムジャパン)の現地学校や、日本への出発式を組合会員10名とともに参加した。
■理事長退任後は、組合顧問として、令和5年より組合相談役として、現在まで後進の指導育成をしていただいている。

平成19年6月~令和5年5月まで

熊本県鉄筋工事業協同組合
第四代 理事長 中村隆氏
会長 平成19年6月~令和5年5月まで

初代会長 中村敏幸氏 長男 (株)中村鉄筋工業 代表取締役 各団体の役職を歴任
■東海大学 建築学科卒業後、(株)佐藤工務店で、勉強を重ねドバイで1年間の研修などを経て、熊本へ帰郷。後継者として、(株)中村鉄筋工業へ
■令和3年11月 黄綬褒章受章
■建設事業関係功労者等国土交通大臣表彰
■認定職業訓練関係功労者表彰(厚生労働大臣)

【主な事業】
■各種団体活動に参加し、組合と連絡、協力体制を強化する。
■熊本県技能士会をはじめとした、専門業者、後継者育成事業
■熊本県、熊本市、地方整備局、熊本県建築協会などとの連絡体制強化、青年部活動推進
■熊本県・熊本市・全国への技能士の地位向上のために「陳情」「請願活動」をつづけてきた。
【モットー】
父同様“誠心誠意”です。良い仕事を頂いて、粗悪な仕事をしたら信用を失いかねない「仕事の結果が一番の営業」の精神で、これからも他の業種と協力し合い、良い建物を造っていくように、後進の指導育成にがんばります。理事長退任後は、組合顧問に就任いただき、アドバイスをいただいています。

令和5年5月22日~(現在に至る)

熊本県鉄筋工事業協同組合
第五代 理事長 宮田洋志氏
会長 
令和5年5月22日~(現在に至る)
【主な事業】
■青山学院大学(経営学科)を卒業し、宮田鉄筋工業(株)に入社、すぐに熊本県鉄筋工事業協同組合青年部に入会いたしました。
その時、宮田道昭氏 (宮田洋志氏 お父さま) 組合役員でしたので、青年部会員として活動しました。青年部で、鉄筋業界の事を勉強いたしました。組合での役員の重要さ、大変さをまのあたりにしました。
それ以来、相互・融和の言葉をモットーに、組合に協力活動しております。

■現在 下記の事業展開しております。
正確・スピード・変化に対応(各方面 電子データに移行開始)
熊本組合は、時代とともに、鉄筋業界に携わる職人の処遇の改善、鉄筋業の継続を目指し、地域の守り手としての役割(安心で安全な建物づくり)を、持続的に果たす活動展開中

熊本県の鉄筋工事のはじまり

初代中村敏幸理事長時代に青年部でした 元組合相談役 米田末吉氏)

熊本鉄筋業のはじまり 振り返って


熊本鉄筋業のはじまりは、まだ我々や、中村敏幸氏(初代組合理事長)、上村金次氏(初代組合副理事長)が鉄筋屋になってない頃だろうと思います。私が色々聞いているのは、昔はキャンディー屋(?)さんという人達がいて、そういう人が鉄筋屋の仕事をしていたという話でした。そこに、近代的な鉄筋業の先駆け出口組(出口工業)が出来たようです。その頃は、農業などをされてる人達が出口組に修行に行き鉄筋業をはじめる人ができたようです。
中村敏幸氏は昭和25年3月熊本市で出口組において、修行。そして、鶴屋の仕事から鉄筋業を開始されたのではなかったかなあ(昭和27年4月)。熊本では、出口工業、そして中村鉄筋の2社が、鉄筋業を牽引し始めました。

組合として
この時代の組合はなくて、それからしばらくしてから、中村敏幸氏が鉄筋業の皆と話し合って、会合がもてるように会をつくったようです。最初は中村敏幸氏宅で話し合いをしたり、違う場所でしたりしていたらしいです。

鉄筋組合のはじまりと加入
(任意)鉄筋組合に入れてもらったのは、私が35歳ぐらいの時。その時(昭和39年8月)は中村敏幸氏が理事長で、宮田道昭氏が会計。会議等の会場は、皆がどこがいいかとなと言って、ほとんどが画図地区の寿司屋さんで例会をしていました。
それから法人にしようと中村敏幸氏が宮田道昭氏と、一生懸命になって組合を法人にされました。この設立頃から、鉄筋業の地位向上が目覚ましく進みました。(平成4年)

昔の鉄筋の仕事・労働環境
鉄筋の運搬は、馬車の時代もありました。その後は、鉄筋の長い棒を自転車で運んだり、車を持ってないので、遠出の際はバスに載せていかなければいけなかった。
それと、昔はヘルメットはない、最初は手袋もない。冬は鉄筋を掴むと手指がひっつく。今みたいなカッパもなかった。日本銀行の仕事が私のはじまりです。

現在の鉄筋の仕事・労働環境
現在は、安全が優先で、福利厚生もきちんとしている。手袋、ヘルメット、防寒服等、環境・会社設備も変化した。以前よりも遥に快適に仕事ができるようになってきました。

鉄筋組合の今
新しく鉄筋業につく人達に、夢をもって仕事ができるような仕組みを作っているつもりですが、新卒高校生は、鉄筋業に就職してもなかなか続かない。毎年うちも3~4人入社しますが、長くて半年しか続かない。新卒採用を継続しながら、現在は外国人技能実習生が力になってくれています。日本の高卒よりも経費が掛かります。宿舎、光熱費等。
今年も日本人新卒採用活動は続けいていますが、本当に採用が厳しい状況です。きつい仕事ではありますが、鉄筋業はやりがいのある仕事です。これからも安心して利用できる建造物を造っていきたいですね。

令和2年6月9日 火曜日

■インタビューの内容全てを掲載できないため、一部省略させていただいています。